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おおさかまんごぅぷりんをご存知だろうか?
ネット上では幻のスイーツ?と紹介されていることもあるマンゴープリンである。
FDTがこのマンゴープリンを売ることになった経緯と失敗に至った顛末。そして喰廻なるイメージキャラクタの誕生秘話を
マンゴープリン販売プロジェクトに関わったデザイナーYの目線で解説させていただきます。
それは2006年の桜も散りはじめた時期、デザイナーYがFDTの本社に呼ばれた所からこのストーリーは始まった。
Yが着くと、会議机におもむろにおかれた黄色い物体が・・・とりあえず口にするように勧められ、一口。
!!(濃厚で芳純な味が舌の上でとろける)思わず絶句!今までにマンゴープリンは、幾度となく食する機会があったが、どちらかというと
マンゴー味がするゼリーと言った感が強かったのだが、今、口にしたマンゴープリンは、高級中華料理店で出てくるようなフルーティでまったりとした味と食感そのもので
本当に美味しかった。
そう、Yが呼ばれたのはこの極旨のマンゴープリンを商品化する為である。
まず断っておかないといけないのが、このマンゴープリンは、高級中華料理店向けに業務用として売られている・基本形態は冷凍されていて自然解凍して食する・
一度解凍したら賞味期限が3〜4日になる事である。このことを踏まえたうえで読み進めていただきたい。
食品にかぎらず商品はパッケージのデザインも重要であるが、まずはどこで売るのか、というのが一番の問題である。
デザートであるプリンという商品の特性上、通常はスイーツ・ケーキの専門店での販売や、コンビニの小売と言った方法があるが、前者は既存店舗が無いことでNG、
後者はコンビニ流通に乗せるのは極めて難しいと言う事でNG、となると・・・。一同考え込んでしまった。
プリンといえば関西で有名なのが“神戸プリン”これがPAや駅売店で実によく売れてヒット商品になってる・・・
今となっては誰が言ったかは定かではないが、大阪発のマンゴープリンとしてお土産として売ろうということになった。その時は席にいた皆が納得したものだが、
今考えるとそもそもこの設定が間違っていたのではないか?大阪=マンゴーとはどう考えても無理が有った?(笑)
なにはともあれ、お土産コーナーで売ろうということに決まる。
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さて、販路は決まったのでパッケージデザインだが、前述の大阪発マンゴープリンということで「大阪まんごぅぷりん」と銘打ち、
単純(ストレートに)にマンゴーとロゴを配した物だったが、その頃、FDTの河村代表をモチーフにしたキャラクターを制作中(別の案件で使う目的で)であったので
パッケージに入れようということに、さらに商品に物語(ストーリー性)を持たせたいねぇ・・・で
「弘法筆を選ばずちゅ〜けどくいもんは選ぶらしいわ『喰廻』おすすめのマンゴープリンこれほんま旨いねんほっぺた落ちたらひろってや!
大阪まんごぅは護摩の灰やあらへん“喰廻”が日本全国廻って旨いもんをみつけてくるでぇ」
当時の意向としてマンゴープリンだけではなく、とにかく美味しい物をシリーズ化してお土産として売っていこうというもくろみがあったためこのフレーズになったのである。
くいまわる⇒喰廻(くうかい)はここが原点である。「弘法筆を選ばず・・・のフレーズでもお解りいただけると思うが喰廻=空海とも引っかけている(笑)
(図1)が初代のイメージキャラクター。河村代表のキャラクター化であったので喰廻(空海)のイメージはしておらず、あくまで商品の隅っこにある
「存在感があり過ぎることなく」というコンセプトで創ったキャラクター。
パッケージにおいてはインパクトを出すためにマンゴーの黄色を強調できる黒をベースにしてマンゴーのイラストを配置。(図2)売場の商品ケースも同時に考えたが、こちらは
コスト面で折り合いがつかず、売れたら作ろうということになった。(図3)
販促用の歌も完成し、かくして販売できる状態になったのだが、当初、大阪駅での販売は時期的なタイミングがあわず、取りあえず関空のお土産コーナーで売ることとなった。・・・時期は2006年7月中旬、
関空では予想に反してそこそこ売れた!売上個数では大阪土産としてで有名な商品を上回ったこともあった。
しかし、今思い返すとここが失敗に向かう分岐点であったのかも知れない。
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どういういきさつかはよく分からないが、「大阪まんごぅぷりん」のテーマ曲を“キダ・タロー氏”が作曲することになった。
いや〜なんかすごい事になってきた。と、ここまではよかったものの何故かキャラクターとパッケージも“キダ・タロー氏”の紹介で
“成瀬国晴氏”がやることになったらしい。???セット販売ですか???
まぁ、Yとしてはクライアントが決めたことに口を挟む気はないし、曲もキャラクターも関西では有名な“大先生”がやるということなので
一介のデザイナーがとやかく言ったところで、ひがみを言ってるようにしか取ってもなえないので、静観することにした。
もちろんギャラは頂いているし、仕事だと割り切ればなんの問題もないだろうが、やはり作品として全否定された感があるので、心中楽しいものではない。
2006年9月頃に曲ができたとのことで呼ばれて試聴した、なるほどその道を極めた“大先生”がなせる曲調!文句の付けようが無い・・・
前の販促用の楽曲は、Yの嫁がインディーズバンドのヴォーカルをしていたということもあって、そのメンバーに創ってもらったものだ。まあ仕方ないよね、
と嫁をなだめつつ、はぁ〜っとため息をついたものだ。
程なく、成瀬氏にょる喰廻(図4)とパッケージデザインが上がってきた(図5)、もちろん前例に漏れず批判できる立場にはない、が、どうだろう?
成瀬氏はイラストレーターとして、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、商業デザインなど幅広い分野で活躍。レポーター、番組司会者、コメンテーターとしての顔も持つ。
批判を恐れずに書くとキャラクターは、それを見る人の感性によるので私もその点において争う気持ちはない、Yも自分のキャラクターに自信を
持っているし一人のクリエイターとして相手が誰であっても自分の創るものがいいと信じてデザイナーをしている。この手の職業は、自慰やエゴがあってはならないと
いう部分と自信や思い込みがないとやっていけない部分の均衡を保つのが非常に難しい。
結局なにがいいたいのかというと、成瀬氏にょるパッケージである。
主役(売り物)は「マンゴープリン」ですよね?なんでキャラクターが最前面で最大面積を占めているのか?パッケージデザインで言えばキャラクター
を前面に強く打ち出す必要性があるものもある、お土産で言えば岡山近県のPAよく見る「きびだんご」等、が非常に良い例だと思う。
改めて、思い直して欲しいのが、何故「マンゴープリン」を商品化しようとしたかということ。
比類のない「おいしさ」があったからである。
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2006年も暮れようとしていた時期、Yに再び「マンゴープリン」のパッケージを考えるように依頼が来た。
理由は明白なのであえてここでは言及しない。
一度全てを白紙に戻して一から考え直すと言う事だったが、成瀬氏の二代目「喰廻」は、あまりにももったいないので、使用することに・・・。
これまでに、かなりコストを投じてきたために、できるだけパッケージをコストダウンし経費を抑えることに主眼が置かれた、これまでは化粧箱自体に印刷をしていたのを
やめ、包装紙に印刷することとなった。(図7)
この時期ようやくJR新大阪のお土産売場にも出品できるようになっていた。
売上が伸びない・・・投資した資金を回収できる目処が全く立たない・・・
売り子を立たせて宣伝する・展示ケースのディスプレイを変更する・看板を増設する・商品写真を大きくする・・・。
コストを掛けずにできる事を思いつくかぎりやってみるも・・・ダメ!
敗戦へ向かう旧日本軍のような負のスパイラルへ。
最後の反攻をかけ起死回生の一策はコンビニ(ローソン)の単品販売、運良く置いてもらえることとなったものの
「喰廻」も「大阪まんごう」もかなぐり捨てて、ターゲットを女性に絞り高級スイーツ(図8)として販売するも失敗!
2007年8月ついに終戦の日を迎えた。
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もう一度、振り返って考えてみると・・・
商品の品質・味は非常に受けがよく美味しかったが、問題点として、第一に自社生産品ではないので販売代理店というような形になり
経費・コストが掛り利益が非常に少なかったこと(少なくなってしまった)、第二に流通・販売ルートを確立できなかったこと。
第三に大阪=マンゴーを関連づけるのは無理があった、今の宮崎ならいいかもしれない!
といいつつY自身が力不足を痛感させられた仕事になりました。
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